カテゴリ:中日・東京新聞連載 の記事一覧

東京新聞連載 112回 男性の買い物


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今回は、かなりスラスラと書けた連載記事。なにしろ普段見ていること、接していること、感じていることをそのままツラツラと書いただけ。最後の「楽しみの種」の話は、以前、講演で話していた内容です。あまりにも盛りだくさんの講演になっていたので、今はほとんど使うことのなくなったネタです。

たまに本当にいるんですよ、物調面で無愛想な人。それが格好良いと思っているのか、知りませんけど。そんな顔でいたら、転けても誰も助けてくれないし、転がったモノを拾ってもくれないし。なによりも、良いことが寄ってこないと思うんです。

今回は、イラストの値段表示。記事の中に出てきた、「感じのいいレジ担当さん」を表すイラストだったところに、「買い物合計金額がゾロ目」も盛り込んでもらいました。最初はレシートの金額をゾロ目に…とメールやりとりしていたのですが、イラストが上がってくるとレジ表示がゾロ目に。この方が、気付いてもらいやすいから、というイラスト担当ホンマさんの機転でした。

いつもイラストに助けてもらっています。
 

東京新聞連載 111回 食生活改善

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お付き合いしながら暮らす疾患名や、血液検査のよくない結果で、共感を得られる年になりました。記事としては、健康のためにはカロリーやコレステロール摂取も気にしながら…という感じの内容です。

ソイミートは、僕の近所のスーパーではなかなか見付けることができませんでしたが、地域差があるようです。全般の食事に関しては、関東よりも関西の方が保守的だと思います。「ダイスで作った肉もどき?世の中には美味い肉がいっぱいあるのに、なんでそんなモン食べなアカンの?」ではないかと思います。

これまで馴染みがなかったソイミート…と思いきや、日清カップヌードルの中に入っている茶色の物体も、実は大豆が材料に使われているそうです。(参考記事:「カップヌードル「謎肉」は大豆と豚肉 日清食品が初公表」)

もう一つ、この記事で知ったのは、枝豆と大豆の関係。枝豆は大豆の若い状態。枝豆が成長したのが大豆。知らなかったです。ダイズで画像検索したら、枝豆の画像ばかりが出てきたわけです。

 

東京新聞連載 110回 町内会の当番

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PTAの役員もそうですが、決して一人ではできない役目です。前任者からの引き継ぎだったり、トップの役割分担だったり。町内会以外の地域の繋がりが役に立ったり。僕の場合は、小学校のPTA役員経験が地域の繋がりのキッカケになり、今回の町内会のお役目がずいぶん楽になりました。

一回も関わらずに終わることも可能かもしれないですが、やったらやった分、良くも悪くもいろんな経験になります。悪い経験も、一緒に経験している人がいて共有や共感できれば、もしかすると良い経験以上の関係に繋がるかもしれません。

どんな事でも、イヤイヤやればメンドウなだけ。確かにメンドウなことも多いですし、やらないのに利益だけ乗っかかってくる人もいます。でも、人の繋がりやご縁というのは、時として、思いもかけない話をもたらしてくれます。今回の町内会役員の話は、春からのオモシロそうな話を持ち込んでくれました。家事研究の面からも非常に興味深い話ですので、いずれ触れる機会があると思います。

 

東京新聞連載 109回 基準見直し

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今年最後の連載記事。いちおう今年の総括と、来年への展望を…と思いながら、講演の移動中に書いたメモ書きに肉付けして記事にしました。

記事の一番下の段に、「『家事独裁』も『家事奴隷』もいりません。」という一文を入れました。これは僕が「いつかどこかで書けたらいいな」と思っていた言葉の中の一つです。今回、はじめて書き残すことができました。

全員参加が理想的ですが、合意形成には時間も労力も必要。それは政治における民主主義のプロセスと似ています。家庭ですらできないことが、自治体や国でどうやって実現できるでしょうか?せめて「この人!」と思って一緒になった人と作った家庭くらいは、時間がかかっても、メンドウだと思っても、みんなで参加して、みんなで作る政(まつりごと)にして欲しいと願います。

「高齢化した家庭での、持続可能な家事をマネジメントを考える」…これを僕の2018年の課題にします。
 

東京新聞連載 108回 大掃除

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12月の記事なので、大掃除は避けて通れません。やらない潮流ができつつあることを感じながらの今回の記事。来年は、12月の大掃除記事はないかも?!

…と思い始めて、はや数年。

本気で「年末の大掃除はやめようキャンペーン」を展開しています。

年末大掃除をしない人達の割合も、すでに19%存在します(ケルヒャー社調査)。これが、単純に年末に大掃除をする暇がないとか、メンドウだから…というしないのか?それとも「年末は大掃除に適さない」という理由があってしないのか?それはわかりませんが。

物理的にも、担い手的にも、年末に大掃除をするのは、今の日本では適していません。大掃除をするのなら、5月末から6月上旬がオススメです。
 

東京新聞連載 107回 夢の家電

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「妄想家電」と称して、勝手に「こんな家電あったらいいな」を記事にしました。科学的背景もなければ、理屈づけもない。ただ「自分が欲しい」というだけ。もしかしたら、すでに商品化や製品化されているかもしれないけど、知らない以上、使えない。

アイデアを出すことで盗まれたりするかも…と心配してくれる人もいますが、僕は自分の暮らしが快適になるのならそれだけで良く、そのアイデアで誰かが大儲けしていても、「どうぞ儲けて下さい」というスタンスです。商品化や製品化への試行錯誤に比べれば、アイデアだけを出すなんて、誰でもできることですから。

とはいえ、「なんで、こんなことに気付かなかったんだろ?」というのもあります。例えば、踏むとアクセル、戻すとブレーキという自動車のペダル。CMで見て衝撃でした。アクセルとブレーキの踏み間違いが原因の事故がよく起きていますが、操作ペダルを一本化するのは、間違いが起こりにくいと思います。電車のワンハンドルマスコン(向こうに倒すとブレーキ、手前に引くとアクセル)の逆ような感じですね。F1やカートのような、右足がアクセル、左足がブレーキというのは、なぜ採用されないんだろうか?とも思いますが、いろいろ機構や運用に問題もあるようです。

さてさて、今回はイラストのホンマさんには、妄想を形にしてもらうという作業をしてもらいました。僕の中でも試行錯誤したのですが、「どうせ妄想なんだし、実現性なんて考えないものを形にしてもらおう」となりました。知り合いの発明家に聞くと、機構的には、イラストの「雨を感知して軒下(室内)に動く物干し竿」は。可能なんだそうです。中国のように、壁に対して垂直方向に干す場合は、より実現性が高い気がします…が、大気汚染の影響で外干し自体が減ったるかな?

とはいえ、今の家事問題をアレやコレやとあるのもイイですが、じゃぁどんなのがあれば解決できる?を考えるのは、前向きで楽しいです。妄想家電は、「こんなのあればいいな」が溜まったら、またリリースします。それまで連載が続くように頑張らないと。

 

東京新聞連載 106回 AIスピーカー

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珍しく、トレンドを追う記事になりました。ちょうど、この記事の掲載日11月11日(土)は11月8日に「Amazon Echo」が発売された最初の週末。ここまで、10月6日にGoogleの「Google Home」とLINEの「Clova WAVE」が発売され、来月(12月9日)にはソニーの「LF-S50G」も発売になります。

もちろん僕はトレンドウォッチャーではなく、最新機材をこの先も追いかけるつもりはなく、ただただ「家事の役に立てるかどうか?」が知りたくて購入しただけのこと。

結論から言うと、記事にもかいたように、家事には(今の段階では)あんまり役に立たない。おまけに、このブログ記事を書いている11月20日には、Google Playの試用期間も終わり、音楽再生機としての役割も果たしてない、ダイニングテーブルのインテリア的物体に成り下がっています。

とはいえ、AIがこの先、人間生活に浸透していくのはほぼ確実。そんな流れの中、いつか「最初の頃のAIスピーカー(その頃にはスマートスピーカーという呼び方が定着してるかもしれないけど)は、この程度だったんだよなぁ」という記念碑的な記事になることも考え、今回記事にしてみました。

アッという間に進化してしまうであろうAIスピーカー。
「OK!Google!今日の予定は?」
「私はズッとここにいます」
「君じゃなくて、僕の予定は?」
というやりとりすら、懐かしくなる時が来るかもしれないな。
 

東京新聞連載 105回 使い回し

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前回のサンマに続く食欲の秋シリーズ第二弾。というわけではないですが、やっぱり炊事に関することは、毎日だし自分でも興味あるし、毎日やってることを記事にしていくというのは、オモシロイです。マンネリが続いていても、「記事にするぞ!」となると、改めてマンネリの中身を振り返ることにもなるし。

記事にするというアウトプットは、刺激を与えてくれます。別に新聞記事である必要はなく、ブログでも刺激たっぷりの記事を書き続けてる人もいますね。締め切りがあればこそ「やるぞ!」になる僕には、締め切り無しでも書き続けている人を見ると、素直にスゴイ!と思います。

さて、記事の内容に補足です。

肉じゃがというのは、ひと言で言い表せないくらい多種多様な形態が「肉じゃが」と呼ばれているようです。2002年9月25日に放送された「ためしてガッテン」で以下のようなデータが出ていました。メモしていたのを掘り出しました。
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「好みの肉じゃが」1270人アンケート(※街頭インタビューと「ためしてガッテン」番組のホームページで実施しました。)

★牛5:豚4:鶏1。その他の1割には、合挽肉・ソーセージ・ベーコン・ツナ

★煮くずれたい人7:煮くずれたくない人3

★甘辛い味5:薄味5

★汁あり5:汁なし5
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肉の比率が、その他を加えると10以上になってしまうのは、どうしたことか…と思いますが。肉じゃがの好みは本当に多種多様。「家庭の味」と言われる肉じゃがだけど、家庭の数だけバリエーションがあるような気がします。

「ウチの肉じゃがってヘン」なのではなく、実はみんなの肉じゃががそれぞれにヘンなんのです。天然記念物的であったり、絶滅危惧種のような肉じゃがもあるはずです。それぞれの家庭の、「なんだかわからんけど、昔からこんな肉じゃがを食べてきた」というのを大事にして下さい。あなたの(もしかすると何代か前の先祖からの?)血となり肉となったのは、その「なんだかわからん」肉じゃがなのです。

 

東京新聞連載 104回 サンマの塩焼き

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焼き魚をグリルの魚焼きで焼くと片付けがタイヘン。タイヘンだから焼き魚はやらないという人もポツポツいます。僕も最初は「フライパンでなんてチャンと焼けるん?」と思ってましたが、やってみると焼けてるし、なんといっても片付けが簡単。今、ウチのグリルの魚焼きは、パン焼き器になってます。

この記事の片付け簡単焼き魚3種類。自分でもツッコミたいのが、一番目の表面加工したフライパンに二番目のフライパン用アルミホイルを使ったらどうなる?です。実際、記事を書いた後にやってみたのですが、これが普通のフライパンと同じ結果になりました。フライパン用アルミホイルを使うのであれば、フライパンは何を使っても同じということでしょう。

焼き魚の片付けが簡単になるのなら、料理の幅は格段に増えます。一匹買ってくるもよし、切り身で買ってくるもよし。あとは焼くだけ。簡単でしかも楽できます。焼き魚ジャンジャン食べましょう。

 

東京新聞連載 103回 においいろいろ

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「臭い」と書いてなんと読むか?

「におい」とも読めるし「くさい」とも読める。なんともヤヤコシイ漢字です。

「匂い」はよい香りの意味で使い、「くさい」と同じ「臭い」は不快な意味で使います。
他に「香り」という言葉もあるし、このあたりの使い分けはネイティブならではだと思います。

ちなみに、僕は海外に行ってもあんまり食べ物に困ったことがなく、有名なイギリス料理も「いわれるほど不味くない…というか予想外に美味しい」という印象です。

そんな僕ですが、苦手な食べ物がいくつかあります。記事にも出てきたブルーチーズ。といっても日本で売られているクラスなら大丈夫ですが、デンマークのスーパーで「つかみ取り!激0安セール」の中に混ざっていたチーズは、食べた瞬間に「なんじゃこりゃぁ」という強烈臭が鼻に抜け、しばらく悶絶状態でした。ユースホステル宿泊中だったので、食堂にいた欧州人にプレゼントしました。何語の人だかわからなかったんだけど、たぶん「え?イイの?美味しいのに」と言われたような気がします。

もう一つは、「サルミアッキ」。フィンランドの不味いキャンディー。北欧や北ドイツでも売られているそうです。僕が食べたのは「パンテリ」。フィンランド人の友達宅に居候していた時のこと。「週末にボスニア湾沿いにあるコテージに行こうと思うけど、行ってみる?」と聞かれたので「是非!」と答え、ヘルシンキから高速道路での移動。その移動中、車内のフィンランド人青年2人とお嬢さん1人がしきりに食べている物がある。「それ何?」と聞くと、ニヤニヤしながら「じゃぁ、まあ一つどうぞ」と。食感はグミ…なのだが、口の中に広がる「なんじゃこりゃぁ」な臭い!脳天直撃の刺激臭。不思議なことに口の中でしか臭わないから、車内が臭いわけではない。それにダマされた感じでした。

日本人でも、この臭いが平気な人もいるみたいで、数年後にフィンランドへ行った帰りに「話のネタ」で買って帰った「サルミアッキ」を、「あ、わたしコレ好きなんです」と食べている女性がいました。強烈臭のブルーチーズも、平気な人は平気のようですね。

北京で食べたピータン。日本で食べるピータンは、どれも臭い控えめ。まったく臭いのしないものすら。でも、あちらで熟成されたピータンは、やっぱり強烈なパンチを繰り出してきます。この先、まだまだ強烈なパンチを食らうとは思います。

「僕は好き嫌いなどまったくない!」
「食べられないモノなど無い!」
と豪語する人の多くは、多様な物を食べていない人だと思います。

世の中にはとんでもない料理がゴマンとあります。未知の食べ物に対して、「100%問題なし」と言い切るのは教養のなさの露呈だと思います。

実は、僕も若い頃は「好き嫌いはありません」と言ってましたが、20代半ばにして「ゴメンナサイ。食べられないモノがいくつかあります」と言えるようになりました。


この記事の裏テーマは、近年の無臭信仰に対する反論です。生き物とは臭いものです。生きるとは臭いを出すことです。生きいてる限り無臭の息なんてありません。生き物を食べる以上、臭いを食べているようなものです。臭うのがイヤなら死ぬしかありません。いや、死んでも臭うのが人間も含めた生き物です。

臭いと匂いの差はあれど、そこには絶対的な境目はなく、文化や習慣、環境によって違ってくるモノ。全部を受け容れられないのもまた致し方なし。自分が「臭い」だと思うモノを、「匂い」と感じることは単なる差異。だから、「え~あれが臭くないの?!嗅覚狂ってるんじゃない?」とか「あれが良い匂い?おかしいんじゃない?」というのは言い過ぎでしょう。僕としては「え?この匂いがわからない?モッタイナイねぇ」と言われると、わからない自分に対して、ちょっとザンネンな気持ちにはなります。