2009年03月 の記事一覧

たまひよbefa!に出てます

たまひよbefa!(ビーファ)妊娠9ヵ月号」の中のパートナー応援BOOKに登場してます。

こちらにPDFデータがあります。
家族3人の写真も載ってます。

クレジットの「photo by」の名前が抜けてますね。
僕の講演風景は、加奈子が撮りました(加奈子の撮影デビューになりました)。
加奈子と僕の画像は、セルフタイマーで撮影。
家族3人の画像は、上海にいた中国人のお兄さんの撮影。

次のページの「妻から夫に望む10のコト」はオモシロいです。この辺りからも、僕の記事の「妻が夫に失望する時期でいちばん多いのが出産前後というデータがあります」も納得です。

家事は一つの手段でしかない

講演ではいつも話していますが、僕のスタンスは、
家事は楽しい生活のための手段に過ぎない
という点に立脚しています。

先日の講演を感想を送って下さった方が、
「今日から『プチ家事』を続けます」
と書いてくれていました。
ストレートにウレシいです。
「一人暮らしの時はチャンとやってたのに…」
と仰ってたのですが、ちょっとしたコトからでも
「行動しよう!続けよう!」
と思って下さったのはありがたい限りです。

でも僕は、たいてい「無理しすぎないようにして下さいね」とお返事します。
行動に移すということは、とっても良いことです。チョットするだけで、大きな結果が付いてくるのも感じてもらえれば、「じゃあ、これもやってみよう」になると思います。できることが増えるというのは、とっても素晴らしいことです。

ですが、
「やらねば」感覚ばかりが強すぎても、ダメだと思うのです。

「なんでこんなコトをオレがせなアカンねん!」と思いながらするのと、
「あ、やらな!でも、今日も忘れてしもた。スマン」と言うのと、
どっちが家庭円満かと聞かれたら、僕は後者をとってしまいます。

「結果を出す」という点からいくと、前者の方がエエのですが、
楽しく暮らすという点からいくと、家庭の雰囲気という面からも、
後者の方が仲良さげな感じがするんです。
僕は、必ずしも結果第一でないところが、
家庭生活のエエところだと思います。

「ホンマは、自分でせなアカンのやけど…」
という意識を忘れないでいることが、一番大事だと思います。

有田青年会議所で講演しました

昨晩、和歌山県の有田青年会議所(JC)で講演しました。

JCの講演は初めてだったので、情報を集めて、「こんな感じならスッと入ってもらえるかな?」と新しいネタもトライしてみました。21日から講座・講演が3日続きだったので、その前の20日に和子さんにリハーサルを見てもらい、書き換えたスライドもありました。

若い人が多い講演会は、中高年の多い講演会と違って、ドカッという反応はありません。それはどこでもだいたい共通です。特に若い男性は大人く笑いも遠慮がちです。でも、決して聞いてないわけではなく、メモをとったり、頷いたり、ワハハ☆とならなくてもニヤッ( ̄ー ̄)とした顔が見えたりする感じでした。

講演の後、懇親会が催され、ここで講演の反応を直に聞くことができ、とってもよかったです。
会員同士で、「パンツ、自分で買ぉてます?」と話題にしてくれたり、
「言われたみたら…服は脱ぎ捨ててましたわ。一人暮らしの時は、チャンと脱いでたんですけどねぇ」
「子どもが寄り付いてくれんのですわ」
と、夫として、お父ちゃんとしての話を聞かせてもらいました。

買い物についても、
「嫁さんと買い物に行くんがメンドウで…あっちこっち連れ回されるやろ?」
「僕は、コレとコレとコレって決めてササッと終わらせもろてる」
という話を聞きました。

買い物が苦手という男性、けっこういます。買い物を、モノの調達という手段として考えるか、モノをブラブラ見て歩くというような目的にするかで、随分買い物は変わってくると思います。流通業界は、この辺りに注目すると、活路が開けるんじゃないかと思います。未開の市場がまだまだたくさん残っているということです。どうしても流通業界には、女性の財布をアテにしている感があります。極論を言うと、女性向けに偏重した展示や展開が、男性客を遠ざけているような感じさえします。例えば、試着が苦手な男性が多いような気がします。僕もそうでした。「試着したら買わなアカン」ような気がするんです。このへんの壁を取り除く工夫があれば、市場はまだまだ…などと、懇親会場で考えました。

家事の「見える化」は、仕事と繋がる部分も多いせいか、特にいい反応をもらいました。直前理事長は宿泊先の旅館「橘家」の方で、「季節の器を入れ替えたりするのに、その管理が毎回タイヘンだったんですが、デジカメで撮ってプリントして貼っておくという話を聞いて、箱を開けずに確認できるなぁと思い付きました」と仰ってました。季節モノの衣類などもそうですが、存在を忘れるコトが、モノを増やす原因にもなりますから、「見える化」で余分な在庫を抱えないようになるといいですね。

初めての場所で、初めての主催団体で、しかも派遣会社も初めての会社だったのですが、とっても気持ちよく講演ツアーの全行程を終わることができました。

米原市社会福祉協議会で講演しました

珍しく曇天の下、米原市社会福祉協議会の主催で講演しました。ちょうど、僕が坂田の駅に到着し、講演後会場を出るまでの間、雨が上がってました。

会場は、用意していた椅子がちょっと足りないくらいの人が来場して下さり、本当に「雨じゃなくてよかった」でした。会場には、車で来る人が大半で、あとは自転車で来る女性たちだったので、雨が降ると自転車組は来てくれなかったかも…でした。

今日は、地域の子育て支援についての話でしたが、ざっと会場を見渡すと、どうも子育てというよりは、孫育て世代の感じが…でもまぁ、子どもの子どもは孫ですから、関わりのない話ではないですし。年齢層が高く、しかも男性が多めとなると、いつものようなワイルドな受講反応はない。でも、寝ている人もいなかったです。みなさん、まじめに聞いてくれはりました。

今日の講演内容は、半分以上、新しいネタとスライドを使いました。初めての内容は、不安もありますが、「どんな反応が来るかな?」という楽しみもあります。今日は、じっくり聞いてくれはる人が多かったのですが、手応えを感じることができました。「これは使える!」「ここを変えよう!」というのも見えてきました。

講演が終わってから、いつものように出口で挨拶すると、いろんな話を聞かせてくれました。「実は、僕も主夫やってますねん」や「妻に先立たれ、やっとみんなに支えてもらってたのを実感した。これからは地域に恩返ししようと思ってます」と話してくださった人もいました。こういう話が聞けるのは、講演内容がエエ感じだったってことかな?と思います。

主催の窓口担当さんが「誰かに似てる…」と思ってたら、保育園の年長組の担任の先生でした。勝手なモンですが、感じが似ているだけで、親しみが沸くというもんです。今日もイイ感じで講演させてもらいました。明日は、和歌山県有田市です。残念ながら、甲子園の選抜高校野球は、今日の雨で一日ずつ順延になってしまい。かっこうのつかみネタを失ってしまいました。仕方ないので失ったことをネタにします。

栗東市で父子料理教室&ワークしました

Img_8926s.jpg今日は滋賀県栗東市のコミュニティーセンター大宝東で父子料理教室をしました。

7組の親子15名が参加してくれました。7人のお父さんの中で、まったく料理をしたことがない(に近い)というのは一人だけで、残り6人はボチボチでした。その全くなしというお父さんも、見てると回りを見ながら娘さんと一緒にいい感じで参加されてました。

調理室の広さからいくと、6組でギリギリかな?というところを7組で目一杯!でした。でも、講師用の流しとグリルを使って上手く対処できました。

10:30スタートで、「いただきます」の目標を12時にしてたのですが、とうてい収まりきらず、「炒飯も是非作りたい!」という皆さんだったので、チョット時間は押したのですが、予定どおり水餃子と炒飯を作りました。「いただきます」が言えたのは12:40。早く作り終わったお父さんの中には、残ったものでスープを作った人もいて、みんなで頂きました。

僕も、ちょっと早めに会場入りして、マンゴープリン作っておきました。聘珍樓(へいちんろう)の『芒果布甸マンゴープリンの素』です。

残念だったのは、水餃子が冷めてしまい、ちょっと皮がゴワゴワした感じになったことです。ホンマは、餃子と炒飯が同時にできて、熱々を食べてもらえると良かったんですけどね。レンジで、餃子をチン☆しているお父さんもいて、「お父さんのベテラン」振りを発揮されてました。

試食のあとは、親子でワークショップ。ワークショップといっても「語り合う」系ではなく、「一緒に遊ぼう!」系です。予定どおり、「ハンカチトランポリン(動画)」をしました。最初は親子で、次に親子シャッフルして、知らない子どもとハンカチトランポリン。最後に、もう一度親子に戻って。オモシロかったです。最初、親子でも遠慮して、チョコチョコッとやっていた皆さん。一度、よその子と遊んだ後は、遠慮がなくなり親子でキャッキャと盛り上がってました。「よその子とやる方が上手にできた」というお父さんも。適度な緊張感がある方が、エエんでしょうか?

今どきの子どもは、よそのお父さんと向き合って一緒に何かする機会って、本当に少ないと思います。ましてや、今日会ったばっかりの大人。学校で指導される「知らない大人に付いて行っちゃダメ」が、「知らない大人と話しちゃダメ」みたいな伝わり方になっている昨今。こういう機会にでも、「知らない人がみんな悪い人じゃないんやで」というのを伝えられればと企画しました。

今回、栗東市の担当さんも父子料理教室と交流ワークを企画するのが初めてだったそうで、企画段階から、自由度が高く「大丈夫かな?」という実験的なコトも試みてみました。今日は参加された方が、みんな明るく楽しい親子で、僕も楽しく仕事させてもらいました。ハンカチトランポリンが上手くいって、ホントに良かったです。なにしろ天気も良くて暖かくて、気持ちのいい一日でした。

人それぞれの解釈

「人」字型人間関係から「I」字自立。そして「M」字型人間関係という、例の話について、先日の研究会で、「『M』字型がマジョリティーになった時、『I』字を貫く自由は保障されるのか?」という質問が出されました。

その時は、「多様性を認めないという意見を、多文化共生社会は許すことができるか?」というオーストラリアのマルチカルチャリズム(Multiculturalism)のジレンマの話をしました。でも、なんとなく、釈然としない自分がいて、今日もフト考えてみました。そして、「そうか!」と気が付きました。

僕は「M」字型を最終形にしてますが、実際の「M」字型形成は、瞬間瞬間のものであって、なんら恒常的関係を保障するものではないというモノだということです。ところが、たいていの人は、「I」字自立を経て「M」字型人間関係に落ち着くと考えるようです。それはそれでもいいのですが、例えば夫婦での「M」字型を固定化してしまうと、職場も夫婦で出勤になってしまいます。

僕が大切にしたいモノに、
「今、ここで、一緒にいる、一緒に過ごしている」
ことへの意識化があります。

当たり前のように家族がそろって、当たり前のように勤め先があり、当たり前のように暮らしている毎日があるというのは、本当に貴重な貴重なことだと思うのです。本当は、なんら当たり前のことではないのです。「なんとなく繋がっている感じ」「親友、た〜くさんいるよ」という感覚には、「今、ここで」というライブ感の希薄さを感じます。

諸行無常のこの世で、ライブの大切さを訴える。

「一期一会」

なんてスンバラシイ言葉なんでしょ。


…というわけで、「I」字を貫く自由の保障云々ではなく、「I」字自立がマジョリティーであるということです。「M」字型人間関係を築けるのは、一緒に会話している時、一緒に歩いている時、一緒にご飯を食べている時など、瞬間瞬間の関係を、僕はイメージしています。

そんな宙ぶらりんな、危なっかしい関係で、人はシッカリと関係を築いていけるのか?そうです。難しいのです。だから一緒に会話したり、一緒に食事したり、一緒に笑ったりしながら、経験や情報や感情を共有して、それらの接点を増やすことで関係を確かなモノにしようとするのだと思います。その延長で、社会との信頼関係も生まれてくるんじゃないかと思います。

分業社会の行き着く先

今週末の研究会報告に向けて、いろいろ資料を物色していたら、興味深い記述を見つけました。それは、「神の見えざる手」で有名なアダム・スミスの著作『国富論(諸国民の富)』の中です。

(原著P267)
分業が進展するにつれて、(略)およそ創造物としての人間が成り下がれる限りのバカになり、無知にもなる。彼は精神が遅鈍になるから、なにか筋の通った会話に興をわかせたり、それに加わったりすることができなくなるばかりか、どのような寛大で高尚な、または優しい感情をもつことができなくなり、従ってまた、私生活の義務についてさえ、その多くのものについてどのような正当な判断も下せなくなる。

「分業が行き過ぎると、頭を使わなくなるからこうなる」と予想してますが、今日の状況を見ると、あながち間違いでもなさそうです。

会話のキャッチボールが苦手な男性、多いですよね。話が業務連絡か演説になってる人。キャッチボールどころか、声を発すること自体が苦手な男性も多いですね。

例えば、ゴミをポイ捨てして、「ゴミを拾う人に仕事を与えてやってる」と言う人がいますが、これなんて分業の行きすぎをそのまま説明していますよね。社会との断絶を垣間見ます。

「私生活の義務」というのも、興味深いです。例えば「自事」。熟年離婚した妻の理由の第1位は「夫が家事をしない」と挙げていた番組がありました。「自分の事くらい自分でやって!」と言っていた女性もいました。自分の脱いだモノをチャンと決まった場所に脱ぐなんてのは、おそらく「子どものシツケ」程度のことでしょうけど、それすらできなくなるのも、1776年に出版された書にアダム・スミスが指摘しています。

この後、
「彼は戦時に自分の国を防衛することも、同じようにできないのである」
と書いてます。アダム・スミスは、この項で「だから教育が必要やねん」とし、「特に公教育が大切やねん」と主張しています。どういう教育をすれば、分業制の弊害から人間を救えるか?については、まだ僕の読み込みが足りず、その箇所を見つけられていません。

が、僕が想像するに、アダム・スミスは『国富論』の前の著書、『道徳情操論』で示した「Sympathy(共感)」にそれを求めていたんじゃないか?と思います。「共感」が前提条件として存在したうえで「分業」もあったのではないか?と考えたんだと思います。

共感を得るためには、(ある程度の)「共同」が必要で、「分業」とは相反します。この「分業と共感のバランス」が欠落した時、おそらく社会は停滞したり退廃したりするのでしょう。今の日本の病理現象を見ていると、アダム・スミスの指摘した分業の弊害で満ちているような気がします。

僕は、この状況の打開策に、家事共同を提案します。家族やご近所総出の農作業やパパママストアが姿を消しつつある現在、敢えて共同作業を設定しないといけない時、家事は毎日、家族のもとにあります。いつもあるデューティーです。一緒に共同することで、時間と経験の共有や、「美味しい!」「キレイになったぁ!」という感情の共有(=共感)も得られます。こう考えると、「ウチには専業主婦(主夫)が居る(だから私は家事をしなくていい)」というのは、別の論点かと思います。

赤穂市で講演しました

Img_8844s.jpg昨日までの雨が上がって今日も晴!!ホンマに「晴れ男」を実感してます。今日も夕方からは曇りでしたので、赤穂市にいてる間、晴れてました。ただ、今日は雨の後と、風が強かったので、花粉が相当飛んでたんじゃないかと思います。

さて、今日は、その赤穂市男女共同参画フォーラムで講演しました。会場は、赤穂市ハーモニーホールの小ホール。小ホールと言っても、そこそこの広さと美しさ。照明も音響もよくて、とっても気持ちのいいホールで講演しました。

全体的にはやや高めの来場者層でしたが、僕世代の男性の集団もありました。どうやら、PTAからの参加だったようです。ウレシいです。おもわず、講演の中で「どですか?」とマイクを向けました。フルだと432席だそうですが、大部分が埋まってました。たくさんの人に聞いてもらえてヨカッタです。

驚いたのは、今日の司会の方が自己紹介した瞬間。事前に「山田さん」とは紹介してもらってたのですが、「和子さん」だとは思いませんでした。家族紹介の時に、さっそくこのネタ使わせてもらいました。今日は、会場の道路向かいでミドリ電化が開店してましたので、講演前にちょっと走って覗いてきて、これもネタにしました。やっぱりツカミのネタは、足で稼ぎ、口で稼ぐのが確実かな?

講演は、一番長くやっているネタだったので、もう暗記するくらい。一番前に座った年輩の夫婦が、そろってよく笑ってくれる人達だったので、とっても乗せてもらいました。お陰で楽しく話ができました。残念だったのは、後半、鼻声になってしまったこと。鼻炎の薬がキレたみたいです。喉の奥に痰が落ちてきて「絶好調ぉ〜!」とはいきませんでした。話がのってただけに、ちょっと残念。

とにかく今日もイイ感じで講演を終わることができました。鼻声になったほかに、もう一点だけ。これはどうしようもなかったことなんですが…スライドを映すスクリーンが舞台の一番奥にあって、僕がステージ上で立つと、必ずどなたかからのスクリーンまでの視線を遮ってしまうことでした。もちろんスクリーンに映し出されている内容は、僕が喋っていることですから、全部は見なくてもいいモノなのですが、それでも、身体を右に左に動かしながら見ている人がいて、ちょっと申し訳ない気持ちになりました。できるだけ、僕も右に左に動いて、特定の人だけが不便にならないようにしました。

講演後のお見送りは、いつもやってますが、今日はいつもより握手の回数が多かったような気がします。たくさんの人と握手して、選挙運動してるみたいでした。後で主催の方に伺ったところ、「講演者の方がお客さんのお見送りをされたのは初めて」だそうです。会場からでてくる人の表情や「楽しかったです」という声を聞かせてもらうと、やっぱりウレシいです。やり甲斐を感じます。

Img_8848s.jpg今日、会場で配られた資料の封筒の中に、参加記念として、シャープペンシルと、ポケットティシューと、そして台所用スポンジが入ってました。来場した人皆さんにこのスポンジが渡ったというコトは、あのPTAのお父さん達にも渡ったわけですね。有効に使って頂ければウレシイです。主夫の講演らしい、なかなかオモロイ景品だと思いました。

城陽市で講演しました

Dsc03611s.jpg今日も天気がよかったです。「晴れ男」は今日も健在。
今日は、京都府城陽市の「ぱれっとJOYO」で講演。家から歩いて1分の丹波橋駅から以前、久御山町で講演した時と同じ、急行で8分の大久保駅での待ち合わせ。
なんちゅ〜近さ。

正直言って、あんまり近すぎると「講演モード」に入りきれません。半分は、講師モードですが、半分は日常生活そのまんまで、ご近所の人と話しているように講演してしまいます。逆に言うと、僕の素がそのまんま出てしまうのが近鉄京都線沿線と、京阪本線沿線の講演です。今日もほとんど「素」で講演しました。「素」の分、本音がポロポロ。他では話さないようなことまで話してしまいます。これはこれで、自分でも楽しいです。中途半端な遠さがキッツイ今日この頃。

開演前の会場のお客さんの入りを見ていると、どうも最初に頂いた講演の方向と、若干のズレが…どちらかというと、「子育て」というよりも「孫育て?」という会場だったので、すぐに内容を入れ替えました。子育て講演のエッセンスを残しつつ、「得意の」内容も盛り込みました。昨晩から、「どないしよ」「どの路線でいこか?」と、さんざん悩んだ甲斐ありました。

綾小路きみまろさんが得意とする、年齢層やや高めの中高年齢層は、今の日本で一番元気な世代。その世代が多いと、会場は盛り上がります。反応がいいと、話し手も盛り上がれます…というわけで今日は、とっても盛り上がる会場で、気持ちよく講演させてもらいました。

講演の後で、「見覚えのある人だけど…どこで会った人かな?」という方が声をかけてくれはりました。挨拶をしてはじめて、以前よく通っていたスーパーでレジを担当されていた人だとわかりました。加奈子を小脇に抱えて、保育園の帰りによく通っていたスーパーでした。レジの合間に、チョロッと「娘さん、大きくなりましたね」など、声をかけてもらったりしてました。当時は、その人とちょっと話しする時間でかなり気持ちが救われていました。あの頃の思い出やら、いろんなモンがよみがえりました。

講演中でも触れた「育児ブルー」な時期のコトです。あの時、ちょっと声をかけてもらえるコトがどんなに有り難かったことか…。今日、「加奈ちゃん、あの頃は人見知りが激しかったですよねぇ」と伺い、「そういや、加奈子って以前は愛想のない子だったなぁ」と思い出しました。いつも一緒にいると、忘れてしまっていることも、周囲の人が「そういえば」と話してくれることで思い出します。そして、普段気に止めることの少ない、加奈子の確かな成長に気付かせてくれます。成長が確認できればこそ、希望ももてます。こういう意味でも、周囲の人の声かけというのは有り難いです。

今日は、僕が講演するコトで、誰かに子育てについてなにかを気付いてもらえた(かな?)という以上に、僕自身が子育てについて気付きをもらえる機会になりました。ウレシい時間でした。