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2010年05月 の記事一覧

「バランス」を東洋人が忘れている?

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は、決して、仕事と私生活を50:50にすることではありません。そのことは、僕が言うまでもなく、いろんな方が発言したり書いたりしています。しかし、語感としての「バランス」は「右と左のバランス」などに使われるように、(理想は)50:50的な解釈で使われています。

この「バランス」を「調和」と言うと、50:50的な感覚ではなく、もう少しお互いが入り交じった感覚で、スパッと2分割された語感ではないと思います。

もともと東洋においては、陰陽を表す太極図に見られるように、二極調和を考える場合でも、陰と陽の境を50:50的直線で示すのではなく、お互いに影響し合う相互作用関係として、曲線で捉えていました。

それがいつの間にか、「バランス」と捉えた時に、50:50という非現実的な解釈にすり替わっているのです。本来、東洋人が備えていたはずの感覚は、いつのまにか「ON or OFF」というようなデジタル信号的発想に変換されてしまっていて、それゆえに「ワーク・ライフ・バランスなど無理」という解釈になっているのかもしれません。

ワーク・ライフ・バランス自体は、英語圏でも決して50:50的解釈ではなく、当初は「家庭の不調は仕事にも悪影響を及ぼす」というメンタルヘルス分野から出発していました。つまり、お互いに深く影響し合うものとして「バランス」を使っていました。

ところが、日本に持ち込んだ時に、その「バランス」が固定的なモノとして解釈されてしまい、こんにちのワーク・ライフ・バランス概念の行き詰まりを生んでしまっています。

もはや「バランス」という言葉に相互作用のイメージを付与できないなら、言葉を言い換えて「ワーク・ライフ・シナジー」と言ってはどうか?という意見もあります(小室淑恵さんなどが提唱しています)。

ですが、東洋人はもともと素晴らしい「調和」に対するイメージをもっていたのです。「バランス」を「調和」と言い換えることで、もしも、相互作用的なイメージが導けるのであれば、僕は、「カタカナ語がキライ」として「ワーク・ライフ・バランス」を「仕事と生活の調和」と無理矢理訳させた小泉純一郎の功績もある意味大きかったと思います。もしも、彼がここまで読んで「バランス」を「調和」とさせたのなら、とても興味深いことです(そんな読みはなかったと思いますが…)。

英語的な解釈と日本語的な解釈とは、ときに大きくズレることがあります。
「テンションを上げて○○する」
は、今の日本語的には、「気持ちを鼓舞して」「気合いを入れて」という語感ですが、以前、英国人のアニルさんは「アカンアカン。テンション上げると持ってる力は100%出せへんで。リラックスして望むのがベストやん」というようなことを言っていました。

例えば、日本語でいう
「頑張って!」「頑張りや!」
と声かけするタイミングで、英語圏の人が「Relax!」と声かけしてる風景をよく見かけました。日本語で「リラックスしぃや!」というと「はぁ?これから勝負やチュ〜のに?」になりますね。

「バランス」という言葉も、こんな感じでズレているのだと思います。だけど「バランス」の起源はもともと東洋思想だったのでは?という内容でした。

『離婚同居』第1話より耳に残ったセリフ

昨日のNHKドラマ『離婚同居』の中から、「お!」と目(耳)に止まった言葉。

(その1)
「あんたにモモの面倒見られんの?」
「大丈夫さ」
「かかりつけのお医者さんは?
 毎日送り迎えできんの?
 担任の先生の名前は?
 一番の親友の名前は?
 お箸の日は何曜日?
 デミグラソースのハンバーグ作ってあげられるの?」

(その2)
「結局、お母さんが欲しかっただけなんですよねぇ」
「お母さん?」
「そっ!お母さんみたいになんでもしてくれて、なんでも聞いてくれて、なんでも許してくれる存在」
「へぇ〜」
「あ〜もぉダマされた!」
「え?」
「だって、あんなに心もなにもかも小っちゃい男が
 若い子にモテるなんて思わないじゃないですか!
 だから結婚したのに」
「そこが結婚のポイントだったの?好きじゃなかったってコト?」
「いや〜好きだったんですけどねぇ。
 でも一番の理由はあたしだけを
 一生見てくれそうに思ったからかもしれません」

(その3)
「あたしさ、今日スッゴイ楽しかったよ。うれしかったよ。
 いろんな人にイッパイ褒めてもらって、
 イッパイいろんな話聞かせてもらって、
 あたしの話にゲラゲラ笑ってもらったりとかして。
 そんでさ…帰りに思ったの。
 そういえば、こんなこと、もう何年もなかったな〜って。
 キャバクラみたいなところだって、
 今の私には居心地のいい場所なの。
 勘違いかもしんないけど、
 みんながあたしのこと認めてくれたなって。」

(その4)
「どうして離婚なさったんです?」
「どうしてでしょうねぇ〜
 あの人ね。私のことを空気みたいな存在だっていったの。
 見えないけど、いなけりゃ死んじゃうって」
「それっていけないことなんですか?」
「褒め言葉のつもりだったんでしょうけど、
 私は空気なんてイヤなんです。
 どうせならチリやホコリの方がまだマシ」
「どうして?」
「光を浴びれば、ちゃんと目に見えますからね」


いろいろネタになりそうな言葉の数々でした。

近所のラブリーなお節介オバチャン達

今日は、ウチがゴミ当番でした。
ゴミ当番の仕事は、ゴミ出し前日にカラスよけネットを出し、ゴミ収集車が行った後でそのネットを片付けること。それをそこにゴミを出しているメンバーで、1週間毎に当番制にしてます。

昨日の晩、ゴミネットを出すのを忘れた僕。

ウチの近所は高齢化が進んでいて、オバチャン達がいろいろお節介を焼いてくれ、お小言もゆ〜てくれはります。

「あちゃ〜、またオバチャンから『あんた、ちゃんと出しとかなアカンやないの!』ってお叱りやろなぁ」
「マァ、コレばっかりは…『よぉ見てくれはってオオキニ』って言うしかないなぁ」

と今朝、和子さんと話してました。

ゴミ収集車が来た後、ネットを片付けて戻ってくる途中、ハザードランプが付きっぱなしの車があったので、それを見ながら歩いていると、オバチャンが

「この車やろ?ズ〜ッとランプ付いたままやねん。言うてあげんと」

とそっちに注意がいってまして、今回はお小言なしでした。
オバチャンは駐車場に停めている家のピンポンを鳴らして

「あんたんとこの車!ランプが付きっぱなしやで!」

と伝えてあげてました。
とにかく、あれやこれやとよぉ〜見てるし、気が付くオバチャンです。


ウチの近所のオバチャン達はオモシロイです。


初冬の頃、夕方、仕事から帰ってくると、僕の顔を見かけるや、

「あんた!こんな時間まで洗濯物干してたらアカンやん!」

と言ってくれます。

「え?なに?なに?」

僕が出勤した後、和子さんがベランダに干してたシーツを指さして、

「ほら!あれ!」
「あれま!いつの間に!いんやぁ〜助かりましたわぁ」
「なんや、あんたが干したんと違うンかいな?」
「ウチのめったに干さん人が干したモンやから…(^^;」
「そうかいな!それで納得したわ」

という感じで、下手すると寝る直前まで干されっぱなしで、冷たくなりそうだったシーツを無事に取り込めました。

「あんたなら知ってると思うけど、洗濯物は3時までやで」

と、オバチャンが最後にピシャリ!


こんなコトもありました。
娘がもっと小さい頃、保育園に迎えに行った僕が途中で家の鍵を落として、父娘して締め出しを食らった時などは、

「どないしたん?何探してるんや?」

と声を掛けてくれ、娘を預かってくれました。その間に、僕は探しに出掛けたり、交番に届けを出しに行ったり。

ウチは、僕が留守の間に加奈子が帰ってきた場合は、自分で鍵を開けて家に入ることにしてますが、「寂しくなったらいつでもおいでや」と言ってくれるお隣さんが数件あって心丈夫です。

「行ってらっしゃい!頑張ってきぃや!」
「お帰り!」

と声かけてくれるご近所さんばっかりです。


「地域で子育てを」というフレーズを講演でも使ってますが、ほんの少しのお節介やお小言を受け容れるコトで、安心や繋がりや笑顔という、大きなリターンがあるように感じます。

「昔は、お節介なオバチャンがあっちこっちにいて…」

という話を聞きます。「昔は」ではなく、今もお節介なオバチャンはあちこちに健在です。ただ、そのお節介を「うるさい!」「干渉しないで!」とピシャッと拒絶し閉ざしてしまっていて、オバチャンの存在が見えなくなっているのかもしれません。確かに、いちいちうるさい時もあるし、干渉しすぎな面もチョビッとありますが、口だけじゃなくて行動が伴っているお節介な人は、社会にとってやっぱり大切な存在です(言い方がきっつい人もいますけどね)。お小言を聞ける間は、オバチャンも元気に過ごしてるってコトですし。

自分が住んでいる周囲の人や出来事に無関心でなく、よく見て、よく動く。こういう人が一人ずつでも増えることが、少しでも住みやすい町を作っていくことやと思います。


ウチの向かいのオバチャン(世間ではお婆ちゃん年代)は、$1=360円の頃に、パリに渡りファッションを勉強して帰り、長い間、CHANEL専門のリフォーム工房を仕切ってました。僕たちが移り住んで来てからも、しばらく工房は稼働していました(数年前に「長いことよぉ働いたからここらで引退や!」と閉店)。ものすごい行動派のオバチャンです。こう書くと、なんだかあのオバチャンにラテン系の肝っ玉かあちゃんが重なってきました。

いろんな面でラブリーな近所のオバチャン達に囲まれた毎日であります。