2014年08月 の記事一覧

共家事には展開段階がある!それを知れば「家事ハラ」「共家事トラブル」は回避できます

共家事には展開段階があります。どういう過程を経て、最終的にどうなると落ち着けるのか?その道筋がわかっていれば「家事ハラ」「共家事トラブル」の大半は回避できます。

昨今、「家事ハラ」という、あれもハラスメント?という「共家事トラブル」についての話題をよく目にします。僕は、例え「子ども以下」と批判されようとも(参照:東洋経済ONLINEの堂園さんの記事)、家事ダメだしで折れる夫がいるということが表に出たことや、「お手伝い感覚」「(あの程度で)やってやってる感覚?」な女性からの意見(例えば、Yahooニュースの治部れんげさんの記事)が表に出たこと、それぞれの思っていることがドンと表に出たこと、それ自体は一歩前進とみています。「当たり前のことが記事になっただけで、なにが前進?」という進歩的な方もいます。ですが僕は、当たり前のことを、いろんな人が立場や事例を変えながら、何度も何度も繰り返して語り続けることで、本当の当たり前になると考えます。当たり前は放置しているだけでは、当たり前にならないのです。

ところで、いろんな意見が出ることには一歩前進と思える僕ですが、やはりこのトラブルの見通しやゴールを誰かが示さないと、また同じ問題を繰り返してしまうと思います。「やり方が違う!」「ヘンなことしないで!」「なんでダメなの?これでイイやん!」という共家事トラブルに接して心が折れたり怒りを感じても、それがゴールへの道筋からは外れてなく、それを誰しもが経験する通過点とわかっていれば、なんとか落ち着けるものです。

まずはじめにゴールです。家事共同の目指すべきゴールは、お互いのやり方やアイデアを持ち寄り、良いやり方を選択して、一人でやるよりも、二人でやる方がアイデア2倍で手間半分という状態になることです。社会学で使われる、ダイバーシティ(diversity)という多様性を認め受け入れていく状態です(ここでいう、ダイバーシティは正確にはdiversity and inclusionです)。

このダイバーシティ形成モデルを参考にすると、このゴール地点である4段目へたどり着くためには、3つの段階を通過することになります。

まずは抵抗段階。
「勝手にいじらないで!」「ここには入ってこないで!」という言葉が出る段階です。玄関先であっても、街角であっても、職場であっても、自分(達)の領域に見慣れぬ他者が入ってくると、まずは様子見的に抵抗します。実際に、抵抗行為を示すかどうかはともかく、抵抗マインドをもつのは自然な防衛反応。

それは家事領域でも同じです。どんな家事をするのかもわからない人です。もっといえば家事できない人かもしれません。わからないことに対して、「散らかされるかも」「汚されるかも」「決まった場所に戻してくれないかも」、あるいは「手抜きがばれるかも」など、いろんなメンドウや不安を予想して抵抗するのは自然な対応です。その予想が当たるか外れるかは別問題です。

次にやってくるのが同化段階。
とりあえず、差し当たっての問題がなさそうなら、領域に入ることは認められます。ただし、自分(達)と同じように振る舞うこと、自分と同じように結果を出すことを求められます。「女性を採用したが、子どもが病気だといってはすぐに休んだり早退する。これでは使い物にならない」という男性の意見はまさに同化段階の典型です。

家事においても同様のことが起こります。「やるなら私と同じように片付けて!」「そうじゃない!こうやってきたの!」「なに?この味!」という言葉が出る段階です。

共働きで子どもも小さくて核家族。「あなたは家事しないで!」などと悠長なことを言ってられない場合は、この同化段階からスタートする場合もあります。同化には、「もしかしたら、自分と同等に結果を出してくれるかもしれない」という淡い期待も含まれます。

しかし現実には、最初の抵抗段階をスッ飛ばしたものの、同化レベルではないとわかるや、「もう、勝手にやらないで!」「私の通りにできないなら、やらなくていい!」と抵抗段階に逆戻りするパターンが多く見られます。少しばかりの期待の裏返しとも言えます。CMで流れた「家事ハラ」は、この同化と抵抗(期待とガッカリ)のネガティブ無限ループに陥っている場合に、見られる現象です。

家事は多種目による総合作業です。洗濯は同化できても、料理はそのレベルに達しないこともあります。別人格の人間が関わることですから、家事のあらゆる種目で許容範囲に届くというのは難しいところです。同化の基準となる先行者に得手不得手があるように、後発者の得手不得手もあり、なかなか家事全般での同化達成は難しいのです。

そこで、その次にやってくるのが分離段階。
得手不得手があるのを逆手に取り、「私は料理、あなたは掃除」「掃除機は僕、収納は君」というように、家事分担、家事分業の段階に入ります。前述の「抵抗」と「同化」のネガティブサークルに陥っている場合の突破口として、僕がセミナーで「まずは後から参入した人の方でもできる(やる気があったり、得意な)家事領域から任せてみる」こととススメるのは、この「分離」段階に誘導する狙いです。

分担すると、いろいろなことがその作業をする人の専用仕様になります。物はその人の扱いやすい高さに揃うし、その人が片付けやすいように片付けられます(片付けないという選択肢も?)。その人に都合のいい時間やペースで行われるようになります。専門化し守備範囲を狭くすれば、熟練も早くなります。それに伴って効率的もされます。最初は時間のかかっていたアイロン掛けも、そればっかりやっていれば、少しずつでも短時間でできるようになるだろうし、同じ手間ならよりキレイに仕上げられるようになるはずです。

「男は仕事、女は家庭」という性別役割分担も分離の一形態かもしれません。家庭面での専従者がいればこそ、仕事に専念でき、長時間の残業もできるし、長期出張も単身赴任も可能になります。長い時間働けることと収入増加がダイレクトに繋がるような仕事の場合は、今でも仕事と家庭の分担受け持ちの方がメリットが大きい場合もあるでしょう。

この分離段階(つまり家事分業段階)は、効率の良さと同時にお互いのやっていることに口出ししない(されない)ので、共家事トラブルから解放されるメリットがあります。ところが、この家事トラブルから解放は、同時に分離段階の限界を作ることにもなります。自分の良いところは出せたとしても、所詮一人作業。一人で思いつくことや一人でできるカイゼン、一人で出せるアイデアには限界があります。「岡目八目」という言葉があるように、横から見ていると、時として、それに取り組む本人以上に「なんで、あんなメンドウなことしてるんだろう?」「こうしたらもっと楽なのに」「こんな道具があるのに」と気づくものです。ですが、口出しは共家事トラブルの原因にもなりかねません。このように、分離のままでは、せっかくのアイデアや気づきが活かされません。そこで次の段階への移行が望まれるようになります。

最後は統合段階。
最初にも述べた「一人でやるよりも、二人でやる方がアイデア2倍で手間半分」という状態です。

この統合段階の話の前に、少し話を戻します。分離段階で家事を分担分業する際に、いくら対等にわけるつもりでいても、たいていは先から家事をしている人の方が広い範囲を受けもち、後から加わる人は部分的な受けもちになります。日々必要な家事は降って湧いてくるので、後発者が技能を習得するまで待てないからです。最初は狭い範囲の受け持ちであったとしても、分離段階においても少しずつできる範囲を広げていく努力が必要です。

なぜなら、今日のような核家族が主流になると、バックアップ人材が限られるからです。心身の調子が悪い時や忙しい時でも、自分の役割を果たせるようにするためには、熟練と同時に省力化をすすめていく必要がありますし、同時に「もしもの時」でも困らないように、バックアップ人材を確保して一通りの家事ができるようにしておく必要も生じます。「もしもの時」は金で解決するのも一つの手段ですが、長期的になった場合や不具合が重なった場合なども想定すると、身近な人によるバックアップ人材の確保の方が確実でしょう。これは中小企業でも同じことが言えます。全体の様子を共有しておかないと「いざ」という時に困ります。

お互いに一通りの家事ができ、そのうえで得意領域や好きな領域を活かせるような配分をしたうえで、「これ、使ってみたらヨカッタよ」「こうしたら速く片付いた」などのカイゼン情報をやり取りしノウハウを積み上げていく。こうなると、おそらく一人よりも二人の方が、二人よりも三人の方が知恵も工夫も集まります。統合段階は、まさに「三人寄れば文殊の知恵」状態です。この状態になるには、条件として対等な会話が必要です。「こっちのやり方にあわせなさい」という同化段階の会話とは違う、対等な会話でないとお互いのオイシイところ取りができないからです。

今は、「家事ハラ」や「手伝い感覚」にガックリしたりイライラしたりすることがあるかもしれません。ですが、その共家事トラブルが、4つの段階のどこで起こっているかを把握することができれば、きっと打開策も見付けられるはずです。共家事トラブルを乗り越えて、ゴールである統合段階に至ることができれば、きっと仲の良い家族が誕生していることでしょう。アイデア2倍で手間半分にできる関係は、同時に楽しいことは2倍にシンドイことは半分にシェアできる関係ですから。

--(追記)--
上で示した、抵抗→同化→分離→統合という展開のオリジナルは、谷口真美著『ダイバシティ・マネジメント―多様性をいかす組織』白河書房(2005年)のP239〜です。谷口氏は企業の戦略としてD.Thomas & Elyの「同化、分離、統合」とDass & Parkerの「抵抗」をまとめ、「広義の『ダイバシティ・マネジメント』とは、抵抗、同化、分離、統合の4つのパラダイムをすべて含む活動を言う。(P263)」と定義づけています。僕は、これを家庭内の家事共同でも応用できると考え参考にしました。家庭も一つの組織です。そのマネジメントに多様性があるかないかは、その組織の発展や衰退に関わる要素といえます。経営学から参考にできることは、たくさんあるはずです。
 

ヘーベルハウスの「夫本」「妻本」「実例集」を手に入れた

2014082401.jpg
「家事ハラ」で物議を醸したヘーベルハウスの「夫本」「妻本」手に入れました。そもそも「家事ハラ」のCMやサイトは、ここへの誘導だったわけですが、果たして成功してるんだろうか?というマーケティング的な心配(お節介?)はありますが。

「夫本」「妻本」の中身は、「共働き子育てライフが10倍楽しくなる」というサブタイトルの通りの住宅や設備の提案本でした。両方とも終盤に二世帯住宅への提案がありました。結局、そこかよ!と思わずツッコンでしまいましたが、住宅関連企業ならあり得る持っていき方でしょう。しかし、仮に共働きと子育てが10倍楽しくなるかもしれませんが、介護リスクを抱えることには触れてませんでした(当然か)。

「夫本」「妻本」ともに、最後に「今日からできる!ママのゴキゲンが急上昇する(パパが家事に前のめりになる)マル秘テクニック」という袋とじのページがあって、週刊誌の袋とじ記事のような、どことなく禁断感が湧いてくる企画ページも。

内容は「夫本」では「スイーツを買って帰る」「言われる前にやる」「ママに自分時間を」「最後はねぎらいとお礼」(「妻本」では、「よいしょ」「プライドを刺激」「ダメ主婦のフリ」「最後はねぎらいとお礼」)でした。これを読んで「そうか!」「今日からやろう!」と思うか、「そんなのやってる!」「それができたら苦労しない!」「アホらしい」かは人それぞれでしょう。

一緒に送られてきた「実例集」ですが、キッチンや洗濯機の前には女性がおきまりのように立っていて、「夫本」「妻本」との内容の連携はなさそうでした。同時期の発行物で整合性が確保できるような、プランナーなりアドバイザーを付けた方がイイと思います。

僕の実感からいうと、「共家事しやすい家」はあると思いますが、それを建てても、本当に共家事するかどうかは別問題だし、共家事しているから10倍楽しい生活ができているかというのも、これまた別問題。効率の良い収納スペースやら、子どもの様子を見ながら料理できるリビング&キッチン配置や、夫婦で一緒に料理できるアイランドキッチンを備えた家を建てながら、その1年後に離婚したカップル知ってますし。逆に、明らかに構造上の不便があったり、改善の余地が大アリな家でも、一緒に工夫して共家事しているカップルもいるし(たいてい仲良い)。中身は箱とは直接関係しないと思います。箱もあり、中身もあれば最高なのですが。
 

理科離れは家事退行も引き起こす?

2014081901.jpg

2014081902.jpg

まずは「自然や科学」という括り方に「これでエエのか?」と一瞬思ったのは置いておくとして…。

生活の中には、物理や化学、生物、地学の要素が溢れかえっているし、企業や事業体の活動はそれと無縁ではない。だけど、それを忙しすぎる高校生が実感する機会が少ないのは確かかもしれない。溢れかえっている実感なく、受験のためだけに理科を勉強しているとしたら、これはとってもモッタイナイ時間と労力を使っていることになる。

記事に「文部科学省は理数系の教育に重点的に取り組む『スーパーサイエンスハイスクール』を全国で200校余り指定するなど、科学技術立国を支える人材を育成しようと取り組みを進めています。」とあるが、そっち方向だけではなく、もっと広くベタな生活経験を積ませることも必要だ。

誰だって同じ材料なら、美味しく料理して食べたいと思うもの。肉を美味しく焼くことと細胞の構造は無縁ではない。ケーキやビスケットを焼くと、粉といくつかの材料だけであんなに膨らみ、しかも美味しくなる!そもそも美味しさとはなんだ?!という科学もある。ダイエットやトレーニングは生物の問題だ。掃除と洗濯は、ほぼ全部が物理と化学で説明できる。日常生活には科学があふれている。これにチョッと気づく機会があればイイだけだ。

子どもの家事機会の減少が理科離れを広げているのかもしれない。理科離れが広がっているということは、いずれは家事退行(家事停滞)も覚悟しないといけないだろう。

僕は、人類は理科と社会の中で生きていて、それを数学や言語を使って探求し交流し、よりよい社会を作っているのだと捉えている。その実感を子ども達に与えられていないのは、大人の責任だ。

もう一つ、大切にしたいのは「学び直しの機会」だ。「学校の勉強なんてしなくても生きていける」と生きてきた大人が、「やっぱり勉強って必要だ!」と思った時に、学び直しの場があるか?というと、なかなか難しい。定時制学校もどんどん減っている。ネットの発展で、通信制教育の敷居は低くなったが、それでも人から直接学べるエネルギーまでも届けられるシステムになるには、もう一歩!な気がする。大人が学び続ける姿は、子ども達に刺激を与えるはず。「大人になれば勉強しなくてイイ」と思いながら学校に通っているとしたら、「社会に出たら理科は必要なくなる」と答えるのも納得だ。

 

記事の見出しはこれでよいのか?

2014081202.jpg
旭化成ホームズの「共働き家族研究所」の共働き夫婦の家事に関する意識調査といえば、男性女性変革派保守派の各方面から非難囂々だった「妻の家事ハラ白書」のもとになった調査。

実際の白書は、「家事ハラ」部分は調査全体で見ると全体の中の一部にすぎなません。全体的には、共家事夫婦の意識や共家事トラブル、そこから共家事しやすい家づくりの基本知識に誘導する内容です。

今回の毎日新聞2014年8月12日朝刊の記事では、「家事ハラ」という言葉は使われていません。その点では、調査紹介の記事として騒動の後ならではの間がします。しかし、「夫おだてりゃ家事やる気」「少々下手でも我慢して」という見出しは、実際に家事をしている男性やジックリ家事育成している妻に失礼で、この記事こそ「家事ハラ」ではないかという気もします。署名のない記事なのでどんな人がまとめた記事かもわからないですが、家事しない男性記者(あるいは夫の家事に期待できない女性記者)からみると、こういう見出しになるのかもしれません。僕は配慮に欠ける見出しだと感じます。

育成は難しい。ですが、これを乗り切ることで、妻の人材育成能力は大きく成長する可能性があります。教師をしている友人の話では「私情が入らない分、他人の子の指導の方が、自分の子よりも上手くいく」面もあるようです。社員の育成の方が、夫よりも簡単かもしれません。ということは、夫の家事育成ができるということは、社員の育成は朝飯前?

また、夫の方が難しい、とはいえ相手のパーソナリティーがわかっていて、しかも自分たちの生活に直接関わる家事人材育成です。ゴールの明確化、プロセスの「見える化」、共同化に併せた省力化、適切な支持など、家庭での育成には職場で使える育成ノウハウがたくさんあります。

そういう点から見ると、見出しの

「夫おだてりゃ家事やる気」を「新入社員おだてりゃ仕事やる気」に
「少々下手でも我慢して」を「少々仕事できなくても我慢して」と

入れ替えてそれが職場で通用するでしょうか?僕が配慮に欠けると感じたのは、こういう点です。
 

雨戸が収納できない!その理由は…

2014080801.jpg
先日、日中の暑さ対策に締めていた雨戸を、夕方に開けようとしたら、戸袋に雨戸が入らない。正確に言うと、グイッと押し込むと一枚目は入る。でも、二枚目は一枚目がキッチリ入らない分、入らない。困った困った。

実は、この雨戸、もう数年前から収納時の具合が悪かったんです。「とうとうアカンようになってしもたか…」と思いながらも、なんとか入らぬモノかとガッチャンガッチャンと出したり入れたり。でも、全然、入る気配無し。

で、「中はいったいどうなってるのか?」とようやく冷静さを取り戻し、見てみると...。

中には、キラリと光る玉が!

ビー玉!

娘がリビングで遊んでいた時に、転がってサッシのレールに入り込み、そのまま雨戸の戸袋にまで入り込んでしまっていたようです。たった一個のビー玉で、数年間雨戸の出し入れに不具合が起きていたとは...。

なにごとも、まずは観察。そして実践です。

とくに不具合の場合、よく観察もせず実践(対処)に入ると、どこかを壊す可能性大です。最初に、ビー玉を見付けることができていれば、力業で雨戸を納めることもなく、傷つけたり、凹ませたりしなくて済んだわけです。
 

処分現場を見れば少しは変わるか?

2014080602.jpg
モノは大切に!と教えられわかっているつもりでいても、なかなかそのモノの寿命をまっとうするまで使いきることは難しいものです。

我が家のマッサージチェア(フジ医療器エアーマッサージチェアWH-426)。娘が生まれる前に買ったので、かれこれ13年前の製品。すでに型式でいうと年代物。最近まで、我が家の2階にしばらく置かれていましたが、「やっぱり使わない」となり、「誰か引き取ってはくれまいか…」とあちこち声掛けたものの、置き場であったり輸送方法であったりが壁になり、決まらず。それから約3ヶ月。1階のリビングに下ろされ、京都市の大型ゴミ回収の日を待っていました。

待っている間も、デンと居座っています。なにもなかった空間に物体があらわれると、それだけ見通しが悪くなります。見通しが悪くなるイコール淀みが生じる。そこにモノが溜まっていく。悪循環です。淀みを取り除くことが、整理整頓には不可欠であり、同時に掃除しやすい空間を作ることにも繋がります。チョットした淀みが散らかりや汚れを大きくしていきます。いつの間にかマッサージチェアも「とりあえず置いておくところ」になってアッという間に魔窟と化しました。

2014080601.jpg
本日(2014年8月6日)待望の回収日となり回収ステッカーを貼り付け、ついでに出した3段ボックスと並べて玄関先に置いていました。


京都市の大型ゴミ回収の様子です。てっきりトラックの荷台にそのまま載せて、どこかの工場で整理したり解体するのかと思ったら、パッカー車で破砕しながらの回収だったんですね。これまで回収場面を目撃する機会がなく、今回はじめて見ました。あっけないものですね。

「あぁ、こうやって回収されるのか」を知り、ちょっと寂しい気持ちになりました。処分現場を見れば、「買っては捨て、買っては捨て」という生活を少し見直せるかと思い、動画撮影したものを公開しました。

モノは大切に。
買う時はより慎重に。
必要のないモノはできるだけ買わないように。
モノはできるだけ増やさないように。
…ココロします。

人生後半戦に入り、少しずつでもモノを減らし、掃除の手間を減らし、「もしも」の時には残った人の手間を少しでも軽くする。そんなライフステージに入ってきたと思います。