「バランス」を東洋人が忘れている?
この「バランス」を「調和」と言うと、50:50的な感覚ではなく、もう少しお互いが入り交じった感覚で、スパッと2分割された語感ではないと思います。
もともと東洋においては、陰陽を表す太極図に見られるように、二極調和を考える場合でも、陰と陽の境を50:50的直線で示すのではなく、お互いに影響し合う相互作用関係として、曲線で捉えていました。
それがいつの間にか、「バランス」と捉えた時に、50:50という非現実的な解釈にすり替わっているのです。本来、東洋人が備えていたはずの感覚は、いつのまにか「ON or OFF」というようなデジタル信号的発想に変換されてしまっていて、それゆえに「ワーク・ライフ・バランスなど無理」という解釈になっているのかもしれません。
ワーク・ライフ・バランス自体は、英語圏でも決して50:50的解釈ではなく、当初は「家庭の不調は仕事にも悪影響を及ぼす」というメンタルヘルス分野から出発していました。つまり、お互いに深く影響し合うものとして「バランス」を使っていました。
ところが、日本に持ち込んだ時に、その「バランス」が固定的なモノとして解釈されてしまい、こんにちのワーク・ライフ・バランス概念の行き詰まりを生んでしまっています。
もはや「バランス」という言葉に相互作用のイメージを付与できないなら、言葉を言い換えて「ワーク・ライフ・シナジー」と言ってはどうか?という意見もあります(小室淑恵さんなどが提唱しています)。
ですが、東洋人はもともと素晴らしい「調和」に対するイメージをもっていたのです。「バランス」を「調和」と言い換えることで、もしも、相互作用的なイメージが導けるのであれば、僕は、「カタカナ語がキライ」として「ワーク・ライフ・バランス」を「仕事と生活の調和」と無理矢理訳させた小泉純一郎の功績もある意味大きかったと思います。もしも、彼がここまで読んで「バランス」を「調和」とさせたのなら、とても興味深いことです(そんな読みはなかったと思いますが…)。
英語的な解釈と日本語的な解釈とは、ときに大きくズレることがあります。
「テンションを上げて○○する」
は、今の日本語的には、「気持ちを鼓舞して」「気合いを入れて」という語感ですが、以前、英国人のアニルさんは「アカンアカン。テンション上げると持ってる力は100%出せへんで。リラックスして望むのがベストやん」というようなことを言っていました。
例えば、日本語でいう
「頑張って!」「頑張りや!」
と声かけするタイミングで、英語圏の人が「Relax!」と声かけしてる風景をよく見かけました。日本語で「リラックスしぃや!」というと「はぁ?これから勝負やチュ〜のに?」になりますね。
「バランス」という言葉も、こんな感じでズレているのだと思います。だけど「バランス」の起源はもともと東洋思想だったのでは?という内容でした。
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