男性のライフリスクからワーク・ライフ・バランスを考える

非常勤講師をしている看護学校で、男性のライフリスクについて、父子家庭や男性が介護する視点からワーク・ライフ・バランス(Work & Life Balance)について考える講義をしました。
僕が受けもっている講義は「社会福祉学」で、高齢者や障がい者、児童や生活保護などに関する講義もしますが、ちょっと他ではやらないような講義もします。その中の一つが父子世帯についての講義です。母子世帯については、母子福祉という大きな枠で触れますが、父子世帯に関しては社会福祉の講義でもほとんど扱われることは珍しいと思います(そろそろ母子福祉ではなく、単親福祉のように言い換えて欲しいです)。男性の介護については、今や介護する人の三人に一人が男性なので、多少触れられることもあると思います。
「平均年収」と「一番多い年収層」が母子世帯以上に大きくズレている現状(超高額年収者に平均値が引っ張られるため)や、京都では親を頼るケースが多いこと、親を頼った場合の介護問題など、男性の身に起こるリスクについて、いろいろ講義しました。最終的には、男性も家事できた方がイイ!子育てや介護を含めて、せめて関心をもった状態にしておかないと、リスクは果てしなく広がるという話をしました。
男性の学生は自分自身のコトとして、女性の学生には自分の家庭や親夫婦、彼氏とのことなどを考えながら聞いてもらいましたが、意外と反応がヨカッタです。
「母子家庭の話は聞いたことがありますが、父子家庭は経済的に恵まれていると思い込んでいました」
「『家事への理解がないと離婚リスクが高まる』は、自分もそう思います(女性学生)」
「夫婦そろって老後を迎えた時、家事をしない夫がいるコトが妻にとっては危険だと知りました」
「介護心中の加害者の大多数が夫と息子ということは、身近な男性に頼れないですね」
「男性の働き方が変わらない限り、女性もシンドイまんまだと思いました」
などなど、だいたい講義の狙いを汲み取ってもらえたような気がします。
ただ、
「やっぱり夫婦そろった方がシアワセだと思います」
というコメントが数点あったのが気になりました。未婚の女子学生のコメントでした。父子世帯や母子世帯の人が、「そういう状態だから不幸」という固定的な見方に陥らないような補足は必要だと感じました。「夫婦そろってないと」が強固になりすぎることで、DV被害から逃れられなくなるケースも多数あるからです。この前の障害者福祉の講義で「障がいは不便ではあるが、不幸ではない」という言葉を紹介したばかりですが、なかなか応用となると難しいようです。もっとも既婚学生からは、そのコメントがなかったのは興味深い点でした。
学生のコメントによると、バラエティー番組で「男が家事するようになると、妻が不要になり離婚が増える」と言った文化人がいたそうです。相互依存による夫婦やお互いにもたれかかることが前提の夫婦なら、その因果関係もあてはまります。ですが、この変化の激しい時代に、「稼がない(稼げない)こと前提」「家事しない(家事できない)こと前提」で依存することは、それが必要になった時に関係は崩壊し夫婦共にハイリスクです。しかも、それは父子家庭の例でわかるように、並の年収金額だけではとうてい解決できないリスクです。
僕は、あちこちで発言していますが、父子世帯のお父さんや、母子世帯のお母さんが、無理なく持続可能に仕事と家庭の両立できることが、ワーク・ライフ・バランスのめざすゴールだと位置づけています。夫婦がそろっていれば、余裕が生まれ、その結果として少子化が解消されたり、介護問題も軽減され、地域社会の再興も可能になるのではと考えています。

人が依存前提の「人」字型な人間関係ではなく、主体性を確保して「I」字に自立しながら、強調性をもち「M」字型に繋がり合う。そして、空いた手で,親兄弟親戚、職場の同僚、友人知人、ご近所さん、学校の先生など地域社会の人達とも繋がり、「M」字型関係の大きな輪ができる。その前提となる「まっすぐ立つ」ためには自事(自分の事は自分でする)感覚が不可欠です。
そのために「楽家事ゼミ」が役に立ちたいという想いです。
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