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家事ジャーナリスト山田亮の講演や執筆などの仕事記録です。 家事で楽して生活を楽しむ!家事がオモシロイと一生楽しい!

完璧な主婦を目指す!…その現実は

2012/08/06
僕の家事論 0
ロンドン五輪、射撃女子25メートルピストルの小西ゆかり選手の記事が目に止まったので紹介。

24発で時給パー、離婚も…射撃女子・小西
「(前略)しかし、夫は小西選手に家庭にいてもらうことを求めた(後略)」
小西の集中生んだ1発35円/射撃
「(前略)だが、競技を続けることを望む小西に対し、家庭に専念することを求める夫。(後略)」

この二つの記事を読むと、「オリンピック代表選手の妻をもちながら…なんと甲斐性のない夫」「これって…だめんず?下げチン?」と思えてしまいます。

でも、ここに至るには、小西選手側にもなにかあったのでは?と思ったら、こんな記事が。

小西ゆかりという名のゲキジョー
「(前略)そして、結婚もした。彼女は今年自衛隊を去ることを決心した。結婚するなら、中途半端は嫌だと言う。完璧な主婦を一度は目指したいという。(後略)」

最初にこれを言ってしまうと、元夫から「完璧な主婦を目指すって言ったじゃない!話が違う!」と言われるし、「家庭に専念して欲しい」と言われるのは当然。

そうなんです。真面目な人ほど陥る「専念」や「中途半端はイヤ」という罠。「完璧な主婦」のイメージがどんなものだったのか?それは本人に聞いてみないとわからないが、主夫から言わせてもらえば「完璧」は専業か兼業に関わらず、永遠に手に入らない領域だ。

生きていく以上、ズッと食事の調達が必要になる。着るモノや使ったモノの後始末が必要になる。しかもそれは、自分のものだけではない。自分の意志に反して散らかしたり、予定した時間に食べられなかったりすることも含んでのものだ。

講演で必ずいってますが、家事は楽しい生活のための「手段」であって、「目的」にするものではない。家事を人生の目的にすると、死ぬまで寝る間も無くなるくらいの家事が降って湧いて出るからだ。割り切りや見切りという線引きが必要な以上、そこと「完璧」とは距離が生まれる。

真面目に、本気で、家事を続けていると、いつかこのことに気付く。多くの人は、やってみて、それもしばらく経ってから(例えば、子どもが生まれたから)やっと気付く。これは「お手伝い」では、なかなか気付くものではない。ザンネンながら、これだけ結婚後のいろんな情報がありながらも、専念を選ぶ多くの人は「自分は大丈夫」と思ってしまうらしい。そして、「『◎◎くんのママ』じゃない自分」「『☆☆さんの奥さん』じゃない自分」の価値に気付く。どうして、結婚する前にこのことをリアリティーもって伝えられる人がいないのか?

これは、オリンピックの代表選手でなくても、どこにでもあるような話だし、僕にはそのどれもにどっちが悪いとは言えない。小西選手も「まさかこんなコトに…」だったと思うし、元夫の方もそれは同じだと思う。ただ、変化したいと思った時、または変化が必要になった時、「専念」や「中途半端はイヤ」を選んだ場合は、変化に大きなリスクが伴うことを、「専念」を選ぶ(選ばせる)人は覚悟すべきだろう。それは家事でも仕事でも同じだ。そして、「専念」をすすめる周囲の誰も、そのリスクを減らしてはくれないでしょう。

小西選手には、いろいろな経験を乗り切ってオリンピックに出場したことに、まず敬意を表します。ものすごい頑張りがあったのだと思います。できれば、ある程度の結果が伴ってくれたらヨカッタと思いますが、それは本人が一番悔しい思いをしているのではと思います。リアルタイムに競技を見られなかったのがザンネンでした。


(追記)
人は、社会の中で、いろんな役割をもって生きています。妻役割は、母役割が登場するとどうしても中途半端にならざるを得ません。その中で介護という娘役割も登場するかもしれません。PTA役員役割や自治会役割に友人役割や先輩役割も。役割に関して言うと、「専念」して生きるのは、実は社会から離れて暮らすことを意味するのかもしれません。
 
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