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家事ジャーナリスト山田亮の講演や執筆などの仕事記録です。 家事で楽して生活を楽しむ!家事がオモシロイと一生楽しい!

プライドについてどう考える?

2012/10/11
僕の家事論 0
看護学校の最後の講義で、学生からこんなメッセージをもらいました。

「私は彼に主夫になってもらってもイイですし、彼も家事できるんですが、なんかやっぱり『男としてのプライド』みたいなのがあるようなんです。それをくつがえすにはどうしたらいいですか?」

どう答えようかと思いながら、僕自身は「男のプライド」というモノについてどう考えているんだろう?と考えてみました。

そういえば、2004年4月26日オンエアーのフジテレビ「スーパーニュース」で僕が「家事男さんの仰天生活」として紹介されたときも、安藤キャスターが「キャリアやプライドもかなぐり捨てて…(主夫になった)」と発言していました。「男のプライドにかけても家事なんてできるか!」と言う人もいるようです。

前提として、僕は「男のプライド」を持ち出すコト自体が、すでにプライド欠如ではないかと思っています。「男らしさ」という価値観に対して僕は懐疑的ですが、どこかの誰かが創り出した「男のプライド」という言葉を使って説明することは「男らしい」といえるのか?と。擦り寄りたい他人の価値観ではなく、自分で創りあげた自分のプライドを大切にすることの方に、僕は価値があると思います。

そもそも、「男の」と限定して声高に主張するだけの値打ちが、家事をしないコトにあるんだろうか?と思います。家事は快適な生活や幸せな人生のための手段に過ぎません。自分の実の身の回りの事は自分でやって当たり前のことです。自分や周囲の人の幸せや楽しい暮らしのために行動しないことが「男のプライド」だとしたら、これは哀しいことです。

「男のプライド」が家族を養う分の稼ぎを得ることとするなら、それはすでに日本では崩壊しかけています。この段階で、なおも好きこのんで使われる「男のプライド」があるとするなら、おそらくそれは「都合よくこき使う(こき使われる)ための鞭」であり、それを喜んで受け入れるとするなら、それはマゾヒズムと言い換えてイイと思います。

「男のプライド」などという誰かが作った「プライド」にしがみついて生きるのではなく、「自分のプライド」を大切にすれば、家事でも子育てでも介護でも、なんでもできると思います。自分の着る服を自分で準備したり、自分の家の前に落ちているゴミを拾うのに、なんでいちいちプライドを気にしないといけないのか?と思います。

いろいろ書きながら、僕もだんだん見えてきた気がします。
「可能な限り自分で考え、自分のことに責任もって自由に生きる」
きっと僕は、こういう生き方を目指しているのだと思います。

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ブログ記事掲載後、「世間体も関係しているのでは?」というご意見を頂きました。すっかり見落としていましたが、これは気にする人にとっては重要な要素だと思います。世間体とプライドと自分の目指したい姿。個人と家族と社会の関係。いろんな要素が絡み合っているのだと思います。
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