東京新聞連載 56回 昔の人の知恵

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久しぶりのカラー誌面!やっぱりカラーはいいなぁ。
今回は、僕の考える「変えたい日本語」の一つである「実家」という言葉を、敢えて「親の家」という表現で使ってみました。
親元を離れて30年もたつ僕にとって、もはや「実の家」とは、今、一緒に暮らしている家族との家であり、若かりし頃、親と暮らした家は、実家というよりも「親の家」という位置づけです。「実の家」ということは、いつかは戻るところ、というニュアンスも感じられ、今の暮らしを軽く置いているようでもあります。少し大げさですが、昔の「家」制度を現代にも引っ張っている感がするような気がして、どうも落ち着きません。
もう一つ、僕が社会福祉士資格を取得する時の実習先が、児童養護施設という親と暮らせない事情のある子達が暮らす施設でした。そこで暮らす(暮らした)人達の中には、親の居場所がわからず、「実家」というものをもたない人が大勢います。「実家」という言葉が出てくる度に、ココロを痛めたりしてないかな?と気になってもいます。
もちろん、慣用表現としての「実家」も理解はできるのですが、徐々にでも、「実家」という表現から、客観的な「親の家」という表現にシフトできないかと考え、今回挑戦してみました。
さいわい、担当さんにも意図を理解してもらえ、「親の家」という表記で誌面に載せることができました。
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