学生たちの成績付け

佛教大学社会福祉学部で社会福祉学専門ゼミ3を担当した、17人の学生の成績をつけ終わり大学へ送りました。
2日にレポートの提出が締め切られ、レポートも読み終わりました。といっても、僕の授業は参加度や授業貢献度が大きな評価ポイント。レポートはどれもドッコイドッコイ。中には、ボチボチ仕上がっている学生もいますが、大半は「え〜っと、どこから直したらエエのかな?」というレベル。
その点、授業への参加度や態度は評価しやすい。毎回、全員の声を聞けるようにしていたし、得意な人も苦手な人も、それなりに人前で発言する機会も設けたつもり。それが苦痛で仕方なかった学生もいると思うし、いつも雄弁に語る学生も。それぞれの成長を見ることができて、楽しいシーズンでした。
娘と同期の学年なので、事情はよくわかります。入学した時からコロナ体制のオンライン授業。そしてこの4月から、3回生になってはじめての大学での対面授業。これまで部活なんかで会っている以外は、オンライン上でのみで知り合っていた学生たち。3回生なのに、学生同士も名前と顔が一致しない。4月から対面授業が始まり、はじめて話す人達同士。
4月から始まって7月末までの4ヶ月。僕も学生の名前と顔を覚えようと、授業内容以外のことも毎回の講義アンケートに書いてもらって、学生のイメージと名前と顔を連携させて覚えようと頑張りました。が、昔は名前と顔なんて、一回すり合わせると、忘れることなんてなかったのに、今じゃ、何度やっても名前と顔が一致しない。そもそも、マスクで顔が隠れているから、顔を覚えるのは結構タイヘン。
やっと全員の名前と顔と、出身高校や部活が一致したのは、7月に入ってから。苦労しました。女子は5人しかいなかったので、すぐに覚えられたけど、12人いる男子は苦労しました。昨年は、2回だけが対面授業で、残り13回はオンラインだったせいか、数名しか覚えられなかったです。
やっぱり対面授業の方が人を覚えられるのは、言葉や表情だけでなく、動作や雰囲気も人間関係にとって大切なのだと再認識しました。20年チョイ生きている若い学生たちですら、他人からその人をその人たらしめる、人生の年輪とでもいう雰囲気が形作られているのだと思うと、50年以上生きている僕なんて、たぶん良くも悪くもその種の雰囲気は出まくってるんだろうなと思います。今さら、精悍な風貌など手に入らないだろうし、持っているモノを偽りなく出す方が、無理なくストレスもなく嘘もなく、楽だとは思います。こういう考え方自体が、雰囲気に出てしまうんだろうなと思います。
短い期間でしたが、同じ顔ぶれに毎回(毎週)会うということ自体、僕にはとても珍しいことでした。なにしろ、講演は場所も違うし、参加者も毎回違う。同じ人にはほぼ会うことのないのが普段。15回も顔を見ると、そりゃ馴染んだ気にもなります。もう二度と会うことのない人もいると思いますが、またどこかでヒョコッと見かける人もいるかもしれません。

上の画像は、教室へ向かう途中にみえる、比叡山(左)と大文字山(右)。教室への階段を登りながら、「今日も誰かラン友達の誰かが登ってるんだろうな…」と思いながら撮ってました。
伏見区から北区千本北大路の佛教大学は、京都市の南端から北まで毎回の縦断でした。気温も気候も北と南では違って、南で晴れていても北は雨ということも。とはいえ、大学院時代以来の通学は、その道中も含めて、普通の人が当たり前にしている「職場に通う」という、僕にとっては珍しい経験ができる瞬間でした。
京都市営地下鉄には、毎週乗っていたにも関わらず、新型車両の20系に一回も乗れなかったのが、ちょっと残念。事前に運行情報を調べて乗れば確実に乗れるのですが、それじゃオモシロくないので、「今日は来るかな?…あ、違うか」の連続でした。